ミュラー列伝 <T>
ミュラーは士官学校を出て,その後艦隊運用士官として巡洋艦に配属,
複数の艦の運用をしていたが,その卓越した運用ぶりは他の運用士官よ
り遙かに抜きんでていた.
中尉の時には見聞を広めるためにフェザーンに駐在武官として赴任して
いたときもあった.
ミュラーは大尉に昇進後,軽機動部隊司令部の幕僚として抜擢,そこで
戦術作戦幕僚としての実績を蓄積した.数々の戦いでミュラーは少佐に
昇進,駆逐艦の艦長として先の戦いで巡航艦を2隻撃沈するという攻勢
手腕に長けた戦術を披露した.そしていま,ミュラーはその武勲から中
佐に昇進したのである.
「中佐,どうだね?卿には巡航艦の艦長たる資格もあるし,またこのま
ま作戦幕僚として残る事もできる.」
ヨードル准将はミュラーの能力を高く評価しており,この若い軍人に期
待するところが非常に大きかった.そして,准将は今,自分の幕僚とし
てこのミュラー中佐を迎えたく,自室で説得にあたっている所であった.
しかし,ミュラーの返事はヨードル准将の期待を裏切るものではあった.
「閣下,小官は未だ艦隊運用について未熟なものであります.できます
ならば,閣下の指揮する機動部隊の艦隊運用戦術士官としていただけれ
ば,小官としては幸いと存じます.」
ヨードル准将は意外そうな顔をした.若い佐官達は艦隊の作戦幕僚を栄
達への早道と考えており,この帝国軍においてはそれは事実であった.
また,艦隊司令としては能力のある佐官を自分の幕僚におくことは非常
に大きな意味があった.すなわち,有能な部下は自分の武勲をも手助け
してくれるのである.さらに,平民出身の部下であれば,貴族である司
令官につくことによって自分の栄達の速度をさらに加速させる可能性も
あった.
しかし,この目の前の若い佐官は,艦隊運用士官を希望していた.艦隊
運用士官は派手さはないものの,やはり有能な士官でなければならない.
例えば艦隊そのものが混乱に陥ったとき,運用士官の有能の有無によっ
て艦隊の崩壊も決するといっても過言ではない.
帝国軍の軽機動部隊は司令官を准将として,その下に戦艦50隻,巡航
艦150隻,駆逐艦200隻が配備されている.司令官自身はその艦隊
の運用の指揮をするものの,個々の艦の指揮はそれぞれの艦長が担う.
しかし,司令官の指示や作戦はそれぞれの艦に直接伝わるのではなく,
いくつかの艦をまとめたグループ単位で,運用士官が司令官の指示をか
み砕き,それぞれの判断で動かす.そうでないと,各艦は司令など無視
してそれぞれに動き始めてしまうからである.
無論,艦隊運用といっても尉官と佐官でその規模も運用内容も異なって
くる.佐官は尉官の運用士官を統率し,司令官の指示を伝え,さらに独
自の戦術を展開することが可能となる.尉官は佐官の出す指示をさらに
各艦へ伝えるが,その戦術を披露する機会は少ない.ミュラーは前の戦
いにおいて艦隊運用系統を有する巡航艦に配属されたものの,その巡航
艦が中破し,佐官が戦死した中で的確な指示を各艦に出し機動部隊の1
つのグループの崩壊を防いだという実績があった.
今,ミュラーはその艦隊運用に際して,駆逐艦の艦長の経験から非常に
重要度が高い任務であることを再認識していた.ここで,艦隊運用士官
として経験を積み,自分自身の戦術を確立することは,この先の戦いに
おいて,自分自身の大いなる経験となると判断したのである.
ヨードルはいくつかの思惑の中から,ミュラーの希望を是とした.つま
り,ここでミュラーが幕僚として残るより,艦隊運用の実績を積み,そ
の後自分の幕僚として抜擢することで,ミュラーに対し恩を売れると言
う点,そして優秀な艦隊運用士官を幕僚にすることで,自分自身が後に
艦隊司令官となったとき,優秀な戦術幕僚を持つことができる等を瞬時
に考え決断を下した.
「よろしい,卿の希望を聞き入れよう.早速,軍務省人事部に卿のキャ
リア・パスについて書類を回しておこう.」
「はっ,小官の希望をお聞き届け下さり感謝いたします.」
「うむ.しかし,卿が実績を積んだ後にはぜひ卿を我が幕僚に迎えたい
と思う.卿の能力を運用士官のポストにおいて発揮して欲しい.」
「はっ!」
ミュラーは敬礼をすると,ヨードル准将の前から去るべく,歩き始めた.
ヨードルはミュラーより10歳以上年上であったが,この若い士官が好
きであった.自分の部下として遺憾なくその能力を発揮してくれている.
ヨードルは平民の出身であり,かつ,士官学校を出ていないため,その
昇進は遅々としていた.しかし,ヨードルの実績は比類なきものであり,
このグーデリアン艦隊の中でも特にグーデリアン中将に信頼を寄せられ
ている一人であった.
「だが...」
ヨードルはつぶやいた.そして複雑そうな表情を浮かべるのであった.
ミュラー中佐はその後グーデリアン艦隊ヨードル軽機動部隊作戦司令部
戦術艦隊運用士官として着任した.しばらくは戦いはないものの,演習
やシミュレーションが多く,それと共にミュラーは艦隊運用の難しさを
味わい,それを克服しつつあった.そして,ミュラーの指示をだす戦術
グループは常に攻勢に長け,守勢に粘り強いという評判が艦隊のなかで
大きくなっていった.